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伊藤政則の新刊本「目撃証言ヘヴィ・メタルの肖像」が本日発売

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日本にヘヴィ・メタルやハード・ロックのアーティストを数多く紹介した音楽評論家、伊藤政則の新刊本「目撃証言ヘヴィ・メタルの肖像」が今日(7月9日)発売になる。伊藤政則の誕生日が1953年7月10日なので今日の発売日なんだろう。

岩手の出身。音楽の道に入るきっかけは、高校時代に岩手放送の名物ディレクター、故北口惇夫さんに出逢った事。当ブログの筆者がレコード会社に入るきっかけは、秋田放送の敏腕ディレクター、金子健二さんに鍛えられた事が大きな要因。当時地方のラジオ(AM)局には優秀なディレクターが数多くいた。

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伊藤政則は進学の為上京後、ロック喫茶でDJを始める。レコード会社の洋楽部に出入りを始めたのは1970年代の後半。本「セーソクの法則」にも寄稿したように、筆者は伊藤政則にCBSソニー(現ソニーミュージック)の社員にならないかと誘った事がある。「朝起きれない」という理由で断られた。

その後伊藤政則は影になり日向になり、CBSソニーのヘヴィ・メタルやハード・ロックを応援してくれた。イギリスのバンド、ガールの売り出しに始まり、ディレクターの故村上太一や女性ディレクターの佐藤ますみが一本釣りで獲得したホワイトスネイク、メタリカやストライパー他をサポートしてくれた。当時CBSレコードのアーティストにヘヴィ・メタルは全く無かった。

ホワイトスネイクには面白いエピソードがある。当時CBSソニーは日本地域の発売権を獲得しようとドイツにいるホワイトスネイクのマネージャー、オジー・ホップと話していた。途中からアメリカのゲフィン・レコードが割り込んでくる。勿論彼等はアメリカ地域の発売権のみ。当時ホワイトスネイクはヨーロッパや日本では強いがアメリカは駄目だった。ホワイトスネイクにとってゲフィンの話は渡りに船。そしてゲフィンの名物担当A&R、ジョン・カロドナーが提案した。ホワイトスネイクという名前はアメリカ人に忌み嫌われるからグループ名を変えようという。ブラックスネイクかパープルスネイクとかのアイデアが出る前に、日本サイドからホワイトスネイクで押し切った。1984年、アルバム「スライド・イット・イン」が全世界で発売される。この年ジョン・カロドナーはエアロスミスとも契約。その後エアロスミスは大復活の道を歩む。

伊藤政則の「目撃証言」、是非ご一読を。敬称略でした。

記事提供元:Musicman オススメBlog【高橋裕二の洋楽天国】




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